以下、GEISAI#10でのコンセプトをまとめてみました。
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かつて絵画などの美術は建築の一部であり、建築の壁面を飾っていました。
西欧中世の職能組合では、壁職人の中に組み込まれていて、現在では*FAUX FINISHと呼ばれている職人技術によって、様々な空間に施されて来ました。
例えば、ローマのバチカン美術館。ここではあちこちに当時の職人達の手によって描かれた壁が数多くあります。彫刻を見ることができる回廊には、刷毛の痕が残るくらいダイナミックな手さばきで見事な大理石が描かれています。とてもラフですが、隣あった彫刻を引き立てる効果を演出している。すばらしい大理石塗装です。
システィーナ礼拝堂。言わずと知れたミケランジェロ作の天井画と祭壇画の「最後の審判」が有名ですが、1470年代半ば頃にボッティチェリ、ペルジーノ、ギルランダイオらルネサンス画家たちが描いた側壁画。ふと目線を横にすると、暗い中にカーテンがあります。いや、カーテンが描かれているのです。金色を上手くポイントで使った臙脂色のカーテンの見事なトロンプロイユ(だまし絵)があります。筆と絵の具による仕事を加えなければ、ここは飾り気のないただの漆喰壁の空間なのです。
さて、この空間はアートなのでしょうか?
それとも、この空間は様々な職人技による仕上げを見られる部屋?
また、ここでのミケランジェロは芸術家でしょうか?それとも壁職人達を束ねる親方でしょうか?職人達に漆喰を塗らせて、原寸大のトレース作業や、背景となる面材をトロンプロイユの技法を使って描かせて、自分はメインの人物に集中する。親方としての進め方がよく分かります。しかし、ここでのミケランジェロは芸術家なのでしょうか?彼は自分が彫刻家だという芸術家としての信念を持ちながらも、器用にノミを筆に持ち替え、弟子に指示を出し、芸術家ではなくて親方として壁職人に徹していたように思います。
これと似た状況で、職人歴10年で自らも作家としての一面を持つ自分に当てはめて、内装仕上げの現場を見てみました。今までの考えでは職人としての仕事と、作家としての仕事は共存出来ず共倒れするのではないか?と考え、あえて別々にして来ました。職人として筆を持つ時は作家としての自分を殺して職人に徹しています。がしかし、あえて融合はできないものでしょうか?
戦後の「現代美術」に於いては、額縁もなくなり、建築との関係性が失われ、「装飾と罪」(アドルフ・ローフ)により装飾そのものも否定され、建築を飾っていた装飾や絵画は取り除かれ、代わりに無機質でフラットな壁に変わって行きました。しかし、現代のアートにおいては「インスタレーション」という形で建築との関わりを強くし、現代建築もそれに呼応するように巨大な美術館を建設するようになり、現代建築と現代美術の関係は逆の形でまた密接なものとなりました。
今回のGEISAI#10では規模は小さいながら、職人として建築(建築の中で支柱を覆い飾る柱巻きにFAUX FINISHを施す)を作り、画家として建築から独立した絵画(信念を持って描いた絵)を描き、これを融合させるために額縁を復活させ、高級感のあるかつての美術を再考してみました。
2006年9月15日 石黒 昭
*FAUX FINISHとは、MURAL(壁画)、TROMPE L’ OIEL (だまし絵)、AGING(古色塗装)、MARBLING(大理石塗装)、WOOD GRAIN(木目塗装)、COLOR WASH(ぼかし塗装)、STENCILS(ステンシル)などの様々な手法の総称です。
これらの技法は西欧の歴史的な建造物の室内装飾から始まりました。もともと、職人技として広がり、現在では商業施設ばかりでなく、一般住宅でも広く使われています。
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